パンやビールに使われる出芽酵母に比べ、分裂酵母の名前を知る人は多くありません。しかし生命科学の世界では、分裂酵母は細胞分裂や染色体の仕組みを解き明かしてきた代表的なモデル生物です。本記事では、その来歴と生物学的な特徴を整理します。
東アフリカの酒から見つかった酵母
分裂酵母(学名:Schizosaccharomyces pombe)は、1893年、東アフリカの雑穀からつくられた酒から分離されました。種小名の「pombe」は、スワヒリ語で「ビール」を意味します。
研究材料としての歴史が本格的に始まったのは1950年代です。スイスの研究者ウルス・ロイポルトが遺伝学の実験系を整えたことで、世界中の研究室で使われる標準株が生まれました。現在使われている株の多くは、このとき確立された系統にさかのぼります。
出芽酵母と、何が違うのか
同じ「酵母」と呼ばれていても、分裂酵母と出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)は、進化の上ではかなり遠い関係にあります。両者は数億年前に分かれたと考えられており、細胞の形も増え方も大きく異なります。
細胞の形:出芽酵母は丸い・楕円形、分裂酵母は棒状
増え方:出芽酵母は親細胞から芽が出て増える(出芽)、分裂酵母は中央に仕切りをつくり、二等分に分かれる(分裂)
主な用途:出芽酵母はパン、ビール、日本酒、物質生産。分裂酵母は細胞周期・遺伝学など生命科学の基礎研究
分裂酵母の細胞は、伸びながら成長し、一定の長さに達すると中央に隔壁(セプタム)をつくって二つに分かれます。細胞の長さがそのまま「細胞周期のどこにいるか」の目安になるため、顕微鏡で観察するだけで、細胞が分裂へ向かう過程を追うことができます。この扱いやすさが、細胞周期研究で分裂酵母が選ばれてきた理由の一つです。
ノーベル賞につながった「cdc2」
1970年代、英国の研究者ポール・ナースは、分裂のタイミングがずれる分裂酵母の変異株を調べ、細胞分裂の開始を制御する遺伝子cdc2を見いだしました。さらに1987年には、ヒトの遺伝子が分裂酵母のcdc2の働きを代わりに果たせることを示し、同じ仕組みがヒトにも保存されていることを明らかにしました。
小さな酵母で見つかった仕組みが、ヒトの細胞にもそのまま通じていた。分裂酵母が「生命科学の教科書」と呼ばれる理由
この細胞周期研究への功績により、ナースは、出芽酵母で細胞周期の遺伝子を研究したリーランド・ハートウェル、細胞周期を動かすタンパク質「サイクリン」を発見したティム・ハントとともに、2001年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
小さなゲノムに、多くの手がかり
2002年には、分裂酵母の全ゲノム配列が解読されました。染色体は3本、ゲノムの大きさは約1,380万塩基対で、タンパク質をつくる遺伝子は約4,800個です。これは当時知られていた真核生物の中で最も少ない遺伝子数でした。
少ない遺伝子で生命活動を成り立たせている一方、分裂酵母には、出芽酵母では失われたヒトと共通の仕組みも多く残されています。シンプルさと、高等生物との共通性。この二つを併せ持つことが、分裂酵母を優れたモデル生物にしてきました。
用語メモ
モデル生物:生命現象の共通原理を調べるために、世界中の研究者が共通して使う生物のこと。扱いやすく、得られた知見がほかの生物にも当てはまりやすいものが選ばれます。
研究の主役から、ものづくりの担い手へ
ここまで見てきたように、分裂酵母は長く「研究のための微生物」でした。裏を返せば、その代謝の仕組みは産業の視点ではまだ十分に使われていません。WAKUは、基礎研究で積み上げられてきた分裂酵母の知見を、有用な分子をつくる「生きた工場」として生かすことに取り組んでいます。
参考文献
Wood V, et al. The genome sequence of Schizosaccharomyces pombe. Nature 415, 871–880 (2002).
Nurse P. Genetic control of cell size at cell division in yeast. Nature 256, 547–551 (1975).
Lee MG, Nurse P. Complementation used to clone a human homologue of the fission yeast cell cycle control gene cdc2. Nature 327, 31–35 (1987).
Hoffman CS, Wood V, Fantes PA. An ancient yeast for young geneticists: a primer on the Schizosaccharomyces pombe model system. Genetics 201, 403–423 (2015).
The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2001. NobelPrize.org.

Research & Development
WAKU 研究開発チーム
分裂酵母の菌株改変、培養、分析、スケールアップの研究に取り組むWAKUの研究開発チームです。研究の背景や技術の基礎を、できるだけ分かりやすくお伝えします。
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